キャスト/スタッフ
ジョヴァンナ・メッゾジョルノ Giovanna Mezzogiorno[イーダ・ダルセル]
1974年11月9日イタリア・ローマ生まれ。
父親は、ダニエル・シュミット作品などで知られるヴィットリオ・メッゾジョルノ。
当初はバレリーナを目指していたといい、幼少の頃より13年間にわたってバレエを習う。父の死後、19歳のときにパリへ。ピーター・ブルックのワークショップなどで演技を学び、'95年、ブルック演出作品で舞台デビューを果たす。さらに'97年にはセルジョ・ルビーニ監督・主演による『Il viaggio della sposa』で映画デビュー。いきなり高い評価を受け、翌年にはミケーレ・プラチド作品に出演し、その演技が認められナストロ・アルジェント賞の最優秀主演女優賞を受賞。2001年にはガブリエーレ・ムッチーノの「最後のキス」に出演し、さらに'03年にはフェルザン・オズペテクの『向かいの窓』で主演女優賞を総ざらいにし、その評価を決定的なものにする。また、'06年にはマイク・ニューウェルの『コレラの時代の愛』でさらにもう1歩、国際的な舞台に踏み出した、いまや世界が注目する女優。本作で全米批評家協会賞の主演女優賞ほか数々の賞を受賞。なお、父親のヴィットリオもムッソリーニを扱ったTV映画『ムッソリーニと私』(83)に出演しており、奇しくも父娘で同じ時代をめぐる作品で演じたことになる。
父親は、ダニエル・シュミット作品などで知られるヴィットリオ・メッゾジョルノ。
当初はバレリーナを目指していたといい、幼少の頃より13年間にわたってバレエを習う。父の死後、19歳のときにパリへ。ピーター・ブルックのワークショップなどで演技を学び、'95年、ブルック演出作品で舞台デビューを果たす。さらに'97年にはセルジョ・ルビーニ監督・主演による『Il viaggio della sposa』で映画デビュー。いきなり高い評価を受け、翌年にはミケーレ・プラチド作品に出演し、その演技が認められナストロ・アルジェント賞の最優秀主演女優賞を受賞。2001年にはガブリエーレ・ムッチーノの「最後のキス」に出演し、さらに'03年にはフェルザン・オズペテクの『向かいの窓』で主演女優賞を総ざらいにし、その評価を決定的なものにする。また、'06年にはマイク・ニューウェルの『コレラの時代の愛』でさらにもう1歩、国際的な舞台に踏み出した、いまや世界が注目する女優。本作で全米批評家協会賞の主演女優賞ほか数々の賞を受賞。なお、父親のヴィットリオもムッソリーニを扱ったTV映画『ムッソリーニと私』(83)に出演しており、奇しくも父娘で同じ時代をめぐる作品で演じたことになる。
フィリッポ・ティーミ Filippo Timi[ベニート・ムッソリーニ/ベニート・アルビノ]
1974年イタリア・ペルージャ生まれ(生年月日はふたつの説があり、公式サイトでは1974年生とのみ記載)。
ポンテデーラの演劇実験センターなどで学び、さらにピッポ・デル・ボーノが主宰する演劇学校でも研鑽を積む。'96年より、ジョルジョ・バルベリョ・コルセッティと劇団をつくり、舞台活動に専念するようになる。2004年、若い俳優を対象としたUbu賞を受賞。さらに'06年には、処女小説も上梓するなど、演劇活動以外にも手を広げ活躍。
その一方、映画にも'99年頃から出演するようになり、トニーノ・デ・ベルナルディ作品のほか、フェルザン・オズペテクの「対角に土星」(06)、ガブリエーレ・サルヴァトーレスの「絆」(08)、ジュゼッペ・カポトンディの「重なりあう時間」(09)などに出演。次第にその評価を高め、本作のベニート・ムッソリーニ役に抜擢され、期待に違わぬ好演を見せてヨーロッパ映画賞の最優秀男優賞にノミネートされたほか、シカゴ国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞。さらにこの夏には、アントン・コービン監督、ジョージ・クルーニー主演のハリウッド映画『ラスト・ターゲット』にも出演と、いま、もっとも注目されるイタリア若手俳優。
公式サイト:www.filippotimi.com
ポンテデーラの演劇実験センターなどで学び、さらにピッポ・デル・ボーノが主宰する演劇学校でも研鑽を積む。'96年より、ジョルジョ・バルベリョ・コルセッティと劇団をつくり、舞台活動に専念するようになる。2004年、若い俳優を対象としたUbu賞を受賞。さらに'06年には、処女小説も上梓するなど、演劇活動以外にも手を広げ活躍。
その一方、映画にも'99年頃から出演するようになり、トニーノ・デ・ベルナルディ作品のほか、フェルザン・オズペテクの「対角に土星」(06)、ガブリエーレ・サルヴァトーレスの「絆」(08)、ジュゼッペ・カポトンディの「重なりあう時間」(09)などに出演。次第にその評価を高め、本作のベニート・ムッソリーニ役に抜擢され、期待に違わぬ好演を見せてヨーロッパ映画賞の最優秀男優賞にノミネートされたほか、シカゴ国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞。さらにこの夏には、アントン・コービン監督、ジョージ・クルーニー主演のハリウッド映画『ラスト・ターゲット』にも出演と、いま、もっとも注目されるイタリア若手俳優。
公式サイト:www.filippotimi.com
マルコ・ベロッキオ Marco Belocchio[監督]
1939年11月9日イタリア北部の小さな町ボッビオに生まれる。
当初はミラノで哲学を学んでいたが、途中で進路を変更し、'59年にローマの実験映画センターに入り、演出を学ぶ。卒業後は映画修業のためロンドンへ。帰国後、故郷に戻って処女作『ポケットの中の握り拳』を26歳で撮る。これが大きな反響を呼び、鬼才パゾリーニを驚嘆せしめて親交を結ばせ、一躍イタリア映画界の超新星として注目を集める。続く第2作『La Cina é vicina』は、ヴェネツィア映画祭で審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞を受け、その名を揺るぎないものにする。'68年、共産党入りしたのをきっかけに、その作品はより政治的、戦闘的なものとなってゆき、'70年代前半を通して野心的、実験的傾向を深めてゆく。'78年、精神科医のマッシモ・ファジョーリの知己を得たのをきっかけに、精神病に関心を抱くようになる。またこの頃より、政治的な過激さのみならず、人間存在そのものの根源的な問題へとベロッキオ作品は向かい始める。『肉体の悪魔』『サバス』『蝶の夢』といった'80年代から'90年代にかけての作品群は、この時代のベロッキオ映画の真骨頂を示すものと言える。
そして'90年代以降もベロッキオ作品に翳りはなく、イタリア映画祭で上映された「乳母」では、映画そのものに宿る過激さに目を向けさせようとするかのよう。さらに'03年の『夜よ、こんにちは』では、'70年代、鉛の時代のイタリアに目を向けてアルド・モロ氏誘拐事件の真相に迫るなど、常に変わらぬ問題作を撮り続けている。『夜よ、こんにちは』でヴェネツィア映画祭の芸術貢献賞を受賞。またカンヌ映画祭の常連でもあり、「乳母」「母の微笑」が正式上映されているほか、本作『愛の勝利を』は、カンヌ映画祭に正式出品されたのはもちろん、イタリア映画界最大の栄誉であるダヴィド・ディ・ドナテッロ賞の監督賞をベロッキオにもたらした。
当初はミラノで哲学を学んでいたが、途中で進路を変更し、'59年にローマの実験映画センターに入り、演出を学ぶ。卒業後は映画修業のためロンドンへ。帰国後、故郷に戻って処女作『ポケットの中の握り拳』を26歳で撮る。これが大きな反響を呼び、鬼才パゾリーニを驚嘆せしめて親交を結ばせ、一躍イタリア映画界の超新星として注目を集める。続く第2作『La Cina é vicina』は、ヴェネツィア映画祭で審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞を受け、その名を揺るぎないものにする。'68年、共産党入りしたのをきっかけに、その作品はより政治的、戦闘的なものとなってゆき、'70年代前半を通して野心的、実験的傾向を深めてゆく。'78年、精神科医のマッシモ・ファジョーリの知己を得たのをきっかけに、精神病に関心を抱くようになる。またこの頃より、政治的な過激さのみならず、人間存在そのものの根源的な問題へとベロッキオ作品は向かい始める。『肉体の悪魔』『サバス』『蝶の夢』といった'80年代から'90年代にかけての作品群は、この時代のベロッキオ映画の真骨頂を示すものと言える。
そして'90年代以降もベロッキオ作品に翳りはなく、イタリア映画祭で上映された「乳母」では、映画そのものに宿る過激さに目を向けさせようとするかのよう。さらに'03年の『夜よ、こんにちは』では、'70年代、鉛の時代のイタリアに目を向けてアルド・モロ氏誘拐事件の真相に迫るなど、常に変わらぬ問題作を撮り続けている。『夜よ、こんにちは』でヴェネツィア映画祭の芸術貢献賞を受賞。またカンヌ映画祭の常連でもあり、「乳母」「母の微笑」が正式上映されているほか、本作『愛の勝利を』は、カンヌ映画祭に正式出品されたのはもちろん、イタリア映画界最大の栄誉であるダヴィド・ディ・ドナテッロ賞の監督賞をベロッキオにもたらした。